錬心抄

2014/02/01
錬心抄 125号  合気道通信 (平成26年2月号)
「山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆうべもよろし」 種田山頭火

種田山頭火。大正、昭和の俳人で、季語や五・七・五といろ俳句の約束事を無視。自身のリズム感を重んじる「自由律俳句」を実践した。旅を好んだ。独特のロイドメガネに笠。「分け入っても分け入っても青い空」。酒豪ぶりは徹底していた。本人の言うところの泥酔の過程は「まず、ほろほろ、それから、ふらふら、そしてぐでぐで、ごろごろ、ぼろぼろ、どろどろ」。深酒で眠ったまま翌朝こと切れていた。58歳。「生死の中の雪ふりしきる」「笠にとんぼをとまらせてあるく」「また見ることもない山が遠ざかる」「窓あけて窓いっぱいの春」死の直前の句「もりもり盛りあがる雲へあゆむ」。俳人山頭火。こういう人物はこれから出て来ないだろう。大正、昭和の時代が生んだ奇才である。

本多青仁斎靖邦
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2014/01/01
錬心抄 124号  合気道通信 (平成26年1月号)
「亢龍有悔」 易経
   (こうりゅうくいあり)
天に昇りつめた竜は、あとは下るだけになるので悔いがある。栄達を極めた者は、必ず衰えるたとえ。出典は易経。会津初代藩主、保科正之の座右の銘だったという。徳川二代将軍・秀忠の子供なのだが、側室の子であるため、信濃高遠藩の保科正光の預かりとなる。この正之の能力を見抜いたのが、義理の兄となる三代将軍家光。引立てられて会津藩主となる正之は家光の遺言で四代目の家綱の後見人となる。諸藩を取り締まる徳川幕府の基盤はこのときできあがる。会津には帰らず江戸につめる。この人の最大の功績は明暦3年(1657年)に江戸の大半を焼き尽くした「明暦の大火」の始末である。江戸城消失。江戸城は再建はせずと主張、これを機に江戸の都市化を推進したのである。「ならぬものはならぬ」という会津藩の家訓は保科正之が制定したものである。「こうりゅうくいあり」は武道を志すものには以って瞑すべきことばである。

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