錬心抄

2017/02/02
錬心抄   161号   2017.2月号
「只今が其時、其時が只今也」       山本常朝

山本常朝(1659〜1719)は江戸時代の佐賀藩の藩士。「武士道とは死ぬことと見つけたり」で有名になった、葉隠の作者だ。この「死ぬこと」は、先の世界大戦では、軍人たちに、特攻隊、「死を恐れずに突っ込め」と誤解されて解釈されて、戦後はこの書、発禁になる騒ぎがあった。当人は「我人、生きることが好きなり」、「人間の一生は誠にわずかの事なり。好いた事をして暮らすべきなり。夢の間の世の中に、好かぬ事ばかりして、苦しみて暮らすは愚かなり。」、といたって正常な感覚の武士だった。武士たちのビジネスマナー、を書き連ねたのが葉隠だということが分かって、入門書が発行され人気を取り戻した。「只今」は日常のとき、「其時」は重大事件が起きた非常のときを意味する。 「只今」と「其時」を分けていると、いざというときに間に合わない。 一つのものだといつも考えているべきだというのである。今が、それをやる時である。それをやる時とは、今である。先延ばししても何も変わらない。この言葉、少しも古臭くはない。現代にもそのまま通用する言葉である。

2017/02/02
錬心抄   160号  2017.1月号
「石橋は叩けば渡れない。まあいっぺんやってみなはれ」西堀栄三郎

これは登山家・西堀栄三郎の言葉。京都大学教授で、日本の南極観測が始まった時、真っ先に駆けつけ、隊員を志願。南極に行くと決めて、押しかけたのだ。この方を有名にしているのは、「雪山賛歌」の作詞家ということだろう。ダークダックスが歌って、流行った。アメリカ映画、ジョンフォード監督の「荒野の決闘」の主題歌、「いとしのクレメンタイン」に詩をつけたのだ。登山中の山小屋でだった。山に登るということは瞬時の決断力を身につけているということ。厳冬の山は死と背中合わせなのだ。武士の心構えに全くよく似ている。西堀栄三郎、第一次南極越冬隊の隊長の時、隊員の一人が火の不始末で火事となり、オーロラの観測機能が無くなってしまった。呆然とする隊員、何も言わずに、手製のオーロラ観測の機械を作ってやったのが、越冬隊長、西堀栄三郎である。「人にとって最も恐ろしいのは、惰性で日を送ることである。向上心があれば、飽きることがない。仕事・生活の中に、向上の道を残さねばならない。向上を求めねばならない。」こういう言葉もある。

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