名古屋大学の野依良治教授のノーベル化学賞受賞は、世界中がアフガニスタンへのアメリカ軍空爆のニュース一色のなかで、大きな花が咲いたように、日本人にとって、誇らしいできごとだった。たしか去年も同じようなノーベル化学賞を、筑波大学名誉教授の白川英樹さんが受賞されている。2年連続の快挙である。今回の野依良治教授の研究は「不省合成」という、自然界に存在する化学物質の特殊な性質の研究なんだそうだ。同じ成分なのに立体構造が鏡に映したように、物質には「右型」と「左型」の二つのタイプを持つものがある。野依さんは、その「右型」と「左型」のどちらかの構造を選択して作る方法を世界で初めて開発し、有用な物質だけを作ることを可能にした。それは、医薬品、農薬、香料などの生産に、ひろく応用され、さまざまなものの実用化に役立っているんだそうだ。この分野では、「世界のノヨリ」として誰もが一目置いていた。◆白川教授は、電気を通すプラスチックの研究だった。実験中の失敗から偶然発見された、というのは有名な話だ。白川さんは、飛騨高山の出身で、自然のなかで、昆虫や植物の採集に明け暮れた。習い事などはせず、豊かな自然の中で、自由にのびのびとすごした。帰ると、ガスなんかない時代なので、お風呂わかしの手伝いをさせられた。当時は、子供たちの手伝いは当り前だった。薪を使って火を起こす。それが密かな楽しみでもあった。新聞に食塩水をひたして燃やすと黄色い炎が出る、風呂場のまわりは、少年にとって「化学の実験場」だったのだ。あまり勉強しなかったが、理科はよくできた。そういった環境が、鋭い観察力を育み、ノーベル賞の受賞につながったに違いない。野依さんもやっぱり、まだ自然が十分残っていた神戸で、野山を駆け巡り、棒切れをふりまわし、崖を攀じ登ったりした少年時代をすごしている。相撲は栃錦のファンで、弟たちを相手に投げ飛ばし、技の研究に余念がなかった。野球は、阪神の熱狂的なファン。藤村富美男にあこがれた。グローブやバット、ボールなどは手作りで、ゲームも空き地での、三角ベースだった。ある時、化学会社の研究者だった父親に連れられて、商品発表会を見に行く。そのとき父親に、「ナイロンは水と空気と石炭で出来ているんだ」と説明され、びっくりしてしまった。当時はナイロンなんて珍しかったので、すっかり感激してしまったのだ。化学の道へ進もう、と密かに決意した。白川さんも、野依さんも、物がまったくなかった時代、遊ぶものは、みんな自分たちで作っていた。そういうエネルギーをずっと持ちつづけ、お二人とも、とうとう世界も驚く、「電気を通すプラスチック」、「物質の不省合成」の研究でノーベル賞を受賞したのだ。研究の原点は、思い切り遊んでいた豊かな日本の自然で培われた少年時代の自由な発想だった。野依さんは、「機械に助けられて生きている現代の人たちの、体力、気力の衰退を警告し、人間力の回復」を主張する。白川さん、野依さんのノーベル賞受賞には、 世紀の日本人はどうあるべきか、何か貴重なヒントを与えられたような気がするのだ。
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