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平成13年12月7日(161号)
  文字は何か霊的なものを本来持っていて、それは声に出して表現すべきモノではないか、と思っていた。もともと、文化は、言葉(音)によって伝承されてきたものなのだ。言葉(音)が、人と人とのつながりを作る。最近は、簡単に「意思」が相手に届くようになった。「携帯電話」は、時間と空間を超えて、いつでも自分の思いを伝えることが出来る。手っ取り早い。「メール」は文字のみで、瞬時 に 言葉を伝える。このへんから何か、日本語の持っている言葉の力強さがなくなって来たように思う。文字を音にした場合の、言葉そのものが持つエネルギー(波動)が使われなくなったのだ。言葉の乱れというのは、こういうことなのではないか、と危惧していたら、最近「声に出して読みたい日本語」という本が出た。明治大学助教授の斎藤孝さんという方が書かれている。1960年のお生まれだそうだ。まだ四十代の気鋭である。日本語は声を出して読むべきもので、暗誦し、朗読する、という風習がだんだんなくなってきている、そのことを警鐘し、まとめられている。「最近の日本人」に特に読んでもらいたいような本である。歌舞伎や能・狂言、落語、文楽の義太夫、琵琶法師の語り、物売りの口上、浪曲のうなり、和歌・俳句、詩吟など、こういったものは、目で黙読するものではない。また、それぞれ、プロの技にかかると、違った魅力が出る。 作も続いた「フーテンの寅さん」シリーズは、あの渥美清さんの、「生まれも育ちも葛飾、柴又。人呼んでフーテンの寅と発します」という啖呵と、「ケッコウケだらけネコ灰だらけ・・・」、物売りの口上で、物語のテンポとリズムが構成されている。言葉で結び合う下町の人情、渥美清さんの、独壇場だった。斎藤さんは、お腹から声を発して、暗誦して欲しい、という。そんな、古来愛誦されてきた古典や芝居のセリフが絶滅の危機にあるというのだ。そういえば、こういった暗誦文化というのはつい最近まで、隆盛を誇り、あちこちから聞こえてきたものだった。暗誦推薦されているものは、結構おもしろい。 「知らざあいって聞かせやしょう」歌舞伎・(白浪五人男)、「てまえ持いだしましたるは、四六のがまだ」大道芸・(がまの油)、「あらまー金ちゃんすまなかったねー」落語・(寿限無)、「まだあげ初めし前髪の」初恋・(島崎藤村)。お経もある。「観自在菩薩 行深般若波羅蜜陀時」、般若心経である。「ここにとりあげたものは、日本語の宝石です。暗誦・朗読することによってこうした日本語の宝石を身体の奥深くに埋め込み、生涯にわたって折りに触れてその輝きを味わう、こうした『宝石を身体に埋める』」イメージで楽しんでください」と、斎藤孝さんは、結んでいる。
平成13年12月21日(162号)
平成13年12月31日 箱根神社
 今年を漢字一語で表すと、「戦」という文字なのだそうである。年の瀬の恒例になってきた。選ばれた「戦」は、ちょっと暗いイメージだが、そういえばそうかなと、思う。やっぱり、「あれ」がいけなかった。アフガンでは毎日、米軍の空爆が続いている。イスラエルは相変わらず戦禍の中である。あの「テロ」の後遺症はまだまだ尾を引くだろう。 月 日は、日本では、この時期になると、両国の吉良邸跡や、播州赤穂、品川・高輪泉岳寺のお墓は、賑わいをみせる。赤穂浪士・討ち入りの日だからである。四十七士の討ち入りは、これも実は、英語に訳すると、四十七人のテロリストたち、なんだそうである。不意に襲って人を殺す。テロリストに義人は本来いないはずだ。世に言う「忠臣蔵」は、一七〇一年(元禄 年)3月 日、播州赤穂藩の藩主浅野内匠頭の江戸城中での刃傷事件で幕を明け、翌一七〇二年(元禄 年) 月 日、大石内蔵助以下四十七人の元赤穂藩士たちの吉良邸討ち入り事件でクライマックスを迎える。今からちょうど三〇〇年前の出来事である。この「テロリスト」たちの行動は、その後、いろんなかたちで語り継がれ、日本人の魂を揺り動かし続けている。どうであれ、江戸の市民たちの話題をかっさらった一大ニュースだった。舞台が始まってからずっとその筋書きは、期待どおりに推移し、雪の中、赤穂の田舎侍たちが立派に本懐を遂げるのである。こんなドラマは考えても考えつくものではない。すぐに義士として扱われ、英雄に祭り上げられる。元禄時代は、ちょうど、昭和の後期、平成初頭のバブル期に似て、何か心棒がずれて、飽食に酔っていた時だった。質素剛健でなければならなかった武士たちも、武から文に、豪気から軟弱に、シフトが切り替わっていた。徳川幕府の権力は強大。禄をはむ武士たちに野望は消え失せて、サラリーマン化していた。赤穂の浪士たちは、仇を討つのか、どうするのか、巷の話題はたかまっていた。それがものの見事に成功するのだ。12 月14 日、早暁の江戸の街は、まあそれはそれは大騒ぎだったに違いない。アフガンの山奥に潜む、オサマ・ビン・ラディンを追い詰めて捕らえた瞬間のようなものだろう。テロリストの立場が逆になってしまっているが、吉良上野介とオサマ・ビン・ラディンは、ダブってみえてくる。賄賂を贈らなかった年若い浅野内匠頭をいじめぬき、公武の儀式の作法を教えなかった吉良上野介は、吉良邸奥の炭小屋に潜んでいたが、捜し出され、忠義の家臣たち四十七人に仇をうたれた。民間航空機を乗っ取らせ、ビルを突撃し、あっというまに五〇〇〇人以上の無差別殺戮を凶行させたオサマ・ビン・ラディン。隠れ潜んでいるという洞窟の前で、山鹿流の陣太鼓が鳴り響くのは、もうまもなくのようである。「年の瀬や 水の流れと人の世は あした待たるる その宝船」

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