成人式がやってくる。去年は荒れた。あんなお粗末な式典にはあきれかえってしまった。若者たちへの批判があちこちから沸き上がる。目をつり上げて、橋本大二郎高知県知事の、怒りに声を震わせた、あの会場のシーンは、全国あちこちでの式典を象徴していた。どこかの会場ではクラッカーを鳴らして、市長の挨拶を妨害した。一升瓶をラッパのみにして会場を踊りまくった。紋付き羽織袴を着て、パンチパーマだった。若気の至り、は誰でも経験する。酒を飲んで、馬鹿げたことはよくやった。だけどあんな公の場での節度はわきまえていたとおもう。今の若者たちに、何があんなことをさせるのか、よくわからない。大人にも責任がある、社会がはたして悪い、のだろうか。最近の若者たちに、ちょっと失望していたら、あおばタイムズ杯のフットサル大会に参加しているある青年から、電話をもらった。大会の案内状と一緒に、フットサル通信を送っている。なるべく若者が興味を持つような言葉を、紹介するようにしている。その中にあった、司馬遼太郎の言葉に衝撃をうけたんだという。どこかに無くしてしまった。どうしても気になる文章だったので、もう一度是非教えてほしい、と熱心に電話をかけてくる。調べたら、竜馬が行くの中の一節で次のようなものだった。「人の一生というのは、たかが五十年そこそこである。いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。たとえその目的が成就できなくても、その目的の道中で死ぬべきだ。生死は自然現象だからこれを計算にいれてはいけない。」「竜馬がゆく」司馬遼太郎 より)」。電話口で読んだら、「それです。」と声が弾んだ。竜馬のことは知らない、という。大学生のようだった。それなら、司馬遼太郎の「竜馬が行く」を買って読め、とすすめた。その言葉を郵送してあげたら、丁寧な礼状が届いた。竜馬が生まれた高知県が、成人式典が一番荒れくるったんではなかったったか。また、もう一人の若者は、「秋の日は釣瓶落とし」なので、大会の進行にチームのみなさん協力してほしい、と挨拶したら、すぐやって来て、「さっきの言葉ですが、どういう意味ですか」、と聞く。井戸もしらない、釣瓶もみたことない、それじゃあー何のことか、当然わからない。素直に聞いてきた、二人の若者の率直な言動に、ちょっとばかり先輩の身として、久しぶりすがすがしさを感じた。まだまだ、日本の若者たちはすてたもんじゃない、そんな気にもさせられた。 |
小紙連載の「ひざねた」は読者にすこぶる人気があるらしい。笑わせ、うなららせ、確かに、思わず、膝を打つ。今回の中で、「
身分証明書の写真にかぎってよく撮れたためしがなかったりするものだが、あの写真しか使ってもらえない正岡子規は本当に気の毒だ。」には苦笑いして、そういえばそうだな、と作者の観察力に感心してしまった。正岡子規のイメージはあの例の写真で作られてしまったが、実際は、当時アメリカから入ってきた「ベースボール」をこよなく愛して、夢中でバットを振り回していたスポーツマンだった。一八六七年、高知で生まれ、幼名を升(のぼる)といった。長じて上京、東京大学の前身、開成予備門で学ぶ。
歳、旅先で喀血。翌年、医者から、肺結核と診断される。そんな身体の異変の中でも、率先して「ベースボール」に興じていた。「ベースボール」が急激に日本に浸透していった頃で、開成予備門から、第一高等学校に名前が改まって、ここの学生たちの中でも特別、子規の「ベースボール」への熱はたかまっていった。つい最近、一月十一日、その正岡子規の、野球殿堂入りが発表された。「野球草創期に野球を愛し、野球文化成立に寄与した」という功績から、特別な「新世紀表彰」として選ばれた。■「ベースボール」を野球と名付けたのは、同じ第一高等学校の後輩、中馬庚、と言われている。「投手」、「一塁」、「二塁」、「左翼」、「中堅」、「三振」、「死球」などの用語を編み出した。明治
年、「交友会雑誌」に、「ベースボール」を野球と、初めて紹介した。そこで、中馬庚が、「野球」の命名者、とする説が有力となっているのだ。ところが、正岡子規はその前に、すでに、「野球」という言葉を使っている。明治
年、次のような川柳を友人たちに送った。「恋知らぬ 猫のふりなり 球あそび 能球」。この能球は戯れに、「のーぼーる」と読ませた。幼名の升(のぼる)をもじっている。この句は、夢中でボールと戯れる自らの姿を猫になぞらえたという。その後、「のーぼーる」を、野球と書いて、雅号もしくは署名として使っていた。「ベースボール」を「野球」とした、という確たる証拠はない。「野球」を「やきゅう」と読ませた、のかどうかも定かではない。どうであれ、野球という言葉を日本で初めて使ったのは、正岡子規であることは、間違いないようだ。その言葉のセンス、ユーモア、見事なものである。一九〇二年、
歳で、他界。ちょうど没後、一〇〇年になる。「痰一斗 へちまの水も 間に合わず」。鬼才・子規、この世での、最後の句である。 |