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平成14年6月7日(173号)
 あの北朝鮮難民一家の2歳のハンミちゃんは今頃どうしているんだろう。家族5人、決死の覚悟で日本領事館に駆け込むとき、母親は無念にも中国の武装警官に取り押さえられた。そのかたわらで泣き叫んでいるハンミちゃんの映像は瞬時に世界を駆けめぐった。なんのことかわかる術もない。決行前の宿舎のビデオでも家族の輪の中で、話題の中心である。かたことの言葉で家族の心を和らげる。写真をつぶさにみてみると、武装警官が領事館内から引きずりだそうとする後で、門の外でじっとしている泣き止んだハンミちゃんの姿がある。日本領事内には3人の職員がなりゆきをみつめ、一人が武装警官の帽子をもって立っていて、その行為を認めている風である。3人の日本領事館職員とは対照的に、運命の嵐のなかで、すくっと立っているハンミちゃんの姿はなんと健気なことか。あの時、中国はこの5人を強制的に北朝鮮に送還するのか、と武装警官の行為に怒りがこみ上げてきたが、本人たちの意向に従い、無事、フィリッピン経由で韓国に出国した。ビデオが公開されなければ、領事館内で起きた事実は隠され、ハンミちゃんの泣き叫ぶ姿が世界に発信され国際社会の厳しい監視のなかにさらされなければ、家族5人の運命はどうなっていたかわからない。韓国に亡命した家族の一人であるハンミちゃんの父親のキム・グアンチョルさんは、中国潜伏中に北朝鮮での生活、強制収容所での体験などを描いた絵を公開した(週刊文春・6月6日号)。みせしめのために群衆の前で銃殺が行われ、飢えて働けなくなると強制収容所に連行され殴られたり蹴られたりしながら働かされる。鉛筆で描かれた繊細な絵である。北朝鮮では国内事情を外部に知らせることは反逆罪。5人の家族が強制送還させられていたら、まず公開処刑場で銃殺間違いなかっただろう。それにしてもあの時の領事館の職員のとった行為はなんと事務的だったことか。外務省に毅然とした人物はいないのか、とあきれはててしまった。ところが、外務省には、かつて、気骨のある外交官が一人いたのである。1940年、外務省の命令に逆らってリトアニアのユダヤ人にビザを発給しつづけ、6000人以上の難民を国外に出した、杉原千畝・リトアニア領事代理である。戦後シベリアに抑留され1947年帰国するが、外務省に呼び出され、即解雇となる。その後29年たって、イスラエル政府はユダヤ人の命の恩人として勲章を授与する。外務省が謝罪し、名誉を回復するのはその22年後、杉原さんはすでにこの世にはいなかったのである。なにかこういう逸話を聞くと、外務省というより日本人の中に、「信念の人」が少なくなった、と思う。育む肥沃な土壌が消失してしまったのだ。
平成14年6月21日(174号)
 日本中がこんなに燃え上がったのだからワールドカップ開催はほぼ成功と言っていい。前回フランス大会では、アジア地区の予選を突破。初めて悲願のワールドカップに出場。予選で全敗したものの世界の舞台にデビューした。それが4年後、韓国と共同とはいえ、開催国となり、世界の強豪をはねのけ、決勝トーナメント進出を果たした。ワールドカップの歴史は第1回が、1930年にウルグワイで開かれている。参加は13か国。ヨーロッパ勢があまり参加しなかった。日本は昭和5年。そのころサッカーは蹴球といってベースボールの野球ほど、まだ盛んではない。それが21世紀の初頭の第17回大会の開催国になったのである。世界がまた急に狭くなってしまった。それにしても、イングランドのベッカムの人気は天井知らず。貴公子然とした甘いマスク、すらりとしたスタイル。それにモヒカン風に刈り込まれ髪にすーっと入った黄色い筋がよく似合う。大会直前、足首の骨折。出場が危ぶまれたが、見事に回復させ、日本女性のハートを独り占めにしてしまう。こいういうお方にどうも日本人女性はグッと来てしまうようだ。日本のサッカーの力は相当伸びたのかも知れないが、選手のほとんどのあの茶髪は、どうだろう。ロシアとの対戦を見ていると、彼らは自然のヘヤースタイル。黒髪ではなく、ちょっと茶色っぽいが、あれは染めたわけではないだろう。日本の選手はハデハデの茶髪に、ベッカムばりにモヒカン風の選手もいた。あれはベッカムだから似合うので、オイオイ、勘違いするなよ!である。この大会に勝つために要請され、トルシエ監督はそれ以外に何も考えなくともいいのである。その意味では、優勝請け負い人として、日本初の決勝トーナメント進出を果たしたのだから、これは大変な功績だ。選手たちは本場ヨーロッパの戦うサッカーを仕込まれ、なるほど勝てるようにはなった。だが、世界の檜舞台である。選手たちが、髪の色までヨーロッパ風にするのは、フランス人の監督だからこそ、頑として許して欲しくはなかった。72年の歴史の中で、語り継がれる名選手の中で特筆すべきなのは、1958年、スエーデン大会での、ペレの出現だろう。ブラジルを代表して17歳で出場。その華麗な妙技は、世界を驚かせた。小柄でひ弱そうな少年が、次々と奇跡のようなゴール生み出し、観客の度肝を抜く。クロスボールをジャンプして胸でトラップ、浮き球でDFの頭上を破り、落ち際をボレーでシュート。この瞬間、ブラジルのペレは神≠ノなった、といわれ、その背番号10は、特別の数字になる。当時とは違い今は映像が瞬時に世界に発信される。世界の人たちは、選手ひとりひとりの一挙手一投足にその国を見ているのである。
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