錬心抄

2016/01/29
錬心抄  146号   2015.12月
「絶学無憂
 ・ぜつがくむゆう」
学問に励むか、励まないか 「(いつか師を超えるためにも)学問を止めず、励み続けるべきである」、ひたすら頑張れという、車でいえば「アクセルを踏む」考え方がある一方、「絶学無憂(ぜつがくむゆう)」という言葉もある。「学を絶てば憂い無し」、知識にとらわれなければ悩みも生じないということだ。しゃかりきに頑張る必要はない、いわば減速して「ブレーキをかける」ことも生きる上では重要だということだ。武術でも柳生但馬守宗矩は「こうしょうああしょうと思うこと、それは病である。またこの病をなおそうというこだわりも病である。自然体でいること。これが剣の道にかなう、本当に病を治すことだ」と言っている。「絶学無憂」というのは自然に生きていくということで、武術修行にも大変参考になる言葉である。

2016/01/29
錬心抄 146号   2015.11月
「枯木龍吟
 ・こぼくりょうぎん」
「龍吟」は枯れたように見えていた木が風に吹 かれて勢いよく鳴る音のこと。すべてを投げ捨ててこそ、初めて真の生命、すなわち解脱の境地 が得られる。苦境を脱して生を得る。生命力を回復する。出典は『碧巌録・へきがんろく』。甘く見てからかった老人がすくっと立ったその構えにたじたじとなったならず者たち。普段から備えていれは、歳をとっても決して無駄にはならない。おのれを捨ててしまう。何も怖いものはない。龍は架空の生き物で、雲を呼んで天に勢いよく舞い上がる。そういうエネルギーは人間誰しも持っているのだ。「龍にとなれ、雲勢いよく来る」である。武道の修練とは雲を呼ぶ訓練を、こつこつと地道にやっていくことなのだ。「枯木龍吟」。枯れ木とは人間ひとりひとりの表面上の姿のことで、その奥には龍が姿を変えて住んでいる。それはいつでも自在に現われる。解脱とはそういうことなのだ。

2016/01/29
錬心抄  145号  2015.10月
「大切なのは、かつてでもなく、これからでもない。一呼吸、一呼吸の今である」坂村真民
これは「念ずれば花開く」の坂村真民の言葉である。坂村真民は「癒しの詩人」といわれている人で、分かりやすい言葉で表現し、子供からも、財界人からも愛されている作家である。
「生も一度きり、 死も一度きり、 一度きりの人生だから、一年草のように、 独自の花を咲かせよう。」「花は一瞬にして 咲かない。大木も一瞬にして 大きくはならない。一日一夜の積み重ねの上にその栄光を示すのである。」
その言葉は一瞬一瞬に命をかける武道の極意というようなものに類似する。人生の幸せというものはそんな大げさなものではない。武道の修行も、一呼吸の今である。緻密な稽古の積み重ね。遠くを望みながら、身近な今の時間に集中する。北辰一刀流の千葉周作の言葉にも「極意とは己が睫の如くにて近くにあれど見つけざりけり」というのがある。「癒しの詩人」と「幕末の剣豪」、啓蒙する言葉が似ているのは不思議でもなんでもない。「大切なのは、かつてでもなく、これからでもない。一呼吸、一呼吸の今である」。人生の極意と言っていい。

2016/01/29
錬心抄  144号  2015.9月号
施無畏
  「せむい」  観音経
山岡鉄舟というと幕末の剣術家。無刀流を編み出した。西郷隆盛と勝海舟の会談の段取りをして、江戸を戦火から救った。幕末三舟といわれるのは、勝海舟、山岡鉄舟に槍の高橋泥舟を加えた武術に優れた三人のことである。その山岡鉄舟に、だれかが剣の極意をたずねた。「浅草の観音様に預けてあるよ」とぶっきらぼうに答える。何のことか分からない。観音様の賽銭箱の上に、「施無畏」と大書してある言葉だということが分かった。観音経の中にあり、無畏とは、畏れなし。不安も恐怖もない。剣の極意とはこれだという。剣の修行により、絶対の安心を与えること。ここに至れば極まったといっていい。武道修行の先にあるのが、「施無畏」なのだ。鉄舟は少年時代は直心影流、青年になって北辰一刀流。6尺2寸、28貫の巨体である。剣術を極めながら禅を学び、書をよくした。行き着いたところが「無刀流」。「施無畏」の境地である。合気道の真髄は実はここにあるのだ。

2016/01/29
錬心抄  143号  2015.8月号
莫妄想
「まくもうそう」無業禅師

北条時宗は、蒙古襲来の時、どう戦えばいいのか、悩みに悩みぬいた。禅僧無学祖元に参禅し、問うた。すると祖元は「莫妄想」と書いて渡した。「うまくやろう、どうしたら勝てる、負けたらどうしよう、そのような雑念は起こすな。今やるべきことに専心せよ」とこたえたのである。出典は、唐の時代の無業禅師である。無業和尚は、誰が何を聞いても、ただ「莫妄想」と答えていたといわれている。妄想というのは、あれこれ考えても分からないことをくよくよ考えることをいう。ひとつは未来のこと、もう一方は過去のこと。これからのことは、どうだこうだと考えてもわからない。過去のこと、ああすればよかった、こうすればよかったと、じめじめと悩む。これはよくない。それではどうしたらいいのか。過去は忘れること。あきらめること。未来は、ケセラセラだ。今、この瞬間をしっかりすることだ。莫妄想。無心に突き進むことなのだ。

2016/01/29
錬心抄 142号 2015.7月号
「兵法は死ぬまでが修行。技の優劣は修行の励みでこそあれ、人間の価値を決めるものではない。人の師範たる根本は「武士」として生きる覚悟を教えるもの。技は末節にすぎない。」山本周五郎著「一人ならじ」より

兵法というのは武道、武士を人間、と置き換える。道場での稽古、技が優れているから、上手いから、というのはどうでもいいことで、合気道ならば、みんなが集まる、その時、どう過ごすかなのだ。道場に入ってくる時、心は、「空」、「無」である。静かに礼をして、稽古の始まるのを待つ。己を捨ててしまう。何も求めないのだ。目の前に展開される技、これを繰り返す。終われば、何も拘りなし。幕末の、天然理心流三代目、近藤周助の、「剣術なんてえものは、試合で勝とうが負けようが、どうでもよろしい。不断にやっておりさえすれば、いざというとき役立つもんさ。役立てねえのは心がいけねえ」。この言葉もいい。近藤勇の義父となる人である。 

2015/06/22
錬心抄  141号  2015.6月号
「白珪尚可磨」
 (はくけい なお みがくべし)
白珪は白く清らかな玉のこと 禅にも武道にも完成はない。常に向上を目指して修業に打ち込むべしとの箴言

この禅の言葉はよく茶会の掛け軸でみられるようだ。これはもう合気道を志すものにとっても至言である。剣禅一如というが、剣すなわち武道も行き着くところ心の完成をめざす。最近、ひとり稽古である境地に達した。自然体だ、力を入れるなと自覚していても、うまくやってやろうとして、力んでしまう。そこでそういう欲は捨てて、ゆっくりと、振って見る。するとVTRの映像がなかなかいいのだ。武道のめざす自然というのは超自然体だ。いわゆる自然よりももっと自然をめざす。それには「白珪尚可磨」を座右として日ごろの錬磨をおこたらないことだろう。

2015/06/22
錬心抄  140号  2015.5月号  
【「経師は遇い易く人師は遇い難し」(けいしはあいやすく じんしはあいがたし)出典『資治通鑑』。
経書の文や章句の講釈をしてくれる師は沢山いるが、人の行うべき道を教えてくれる師はいないものだ。】
武術に限らず何かをやっていくならいい先生につけということだ。弟子入りして、「あ、この先生は…」と思ったら我慢しないほうがいい。早く見切りをつけてほかを探す。得難い人師というのは心の師と置き換えてもいい。自分の技の優劣は励みにすればいいが、人間としてどう生きるか、そういった根本的なものを学ぶ雰囲気を持っている指導者を探すということ。技がどうの、というのは末節に過ぎない。合気会に入った時、技の優れた植芝盛平翁の高弟たちが多かった。演ずる技もかなり高いものだった。そういう方々の何人かは、二代目道主を継承されたばかりの、温厚な吉祥丸先生から離れて行った。私は合気道に出遭った瞬間から、この二代目道主を我が師といい続けてきた。今でもこういう遭い難い人師にめぐり遭ったことを誇りに思っている。

2015/04/03
錬心抄  139号  4月号
「健康な人には病気になる心配があるが、病人には回復するという楽しみがある」
寺田寅彦

寺田寅彦ー物理学者で随筆家。第五高等学校時代の恩師が夏目漱石。寅彦は「我輩は猫である」や「三四郎」のモデルになっている。自然科学者で随筆にも優れたものを持つ文学者として夏目漱石は高く評価している。健康な人と比較して病人は前向きで暮らせるからいい、という言葉は科学者の言として面白い。「天災は忘れたころにやってくる」も寅彦の言葉だ。「頭のいい人は批評家に適するが行為の人にはなりにくい。凡そ行為には危険が伴うからである。怪我を恐れる人は大工になれない。失敗を怖がる人は科学者にはなれない」。年齢が行ってから合気道を始める人には、「批評家より行為の人になれ」、「病人には回復するという楽しみがある」ということばがぴったりだ。恐れず修行に邁進しなさい、という寅彦のアドバイスを強く受け止めて稽古に邁進しよう。

2015/04/03
錬心抄  138号  3月号
「力を抜いて柔らかく敵と仲良く穏やかに姿構えは美しく匂うがごとき残心を」   持田盛二
「昭和の剣聖」持田盛二の言葉だといわれている。合気道を始めたころよく耳にした。そういえば合気道の技をこういう言葉でとらえるとわかりやすい。近世になって「剣聖」というとまず中山博道が上がるだろう。武術家として合気道開祖の植芝盛平翁とよく並び称される剣の名人だ。持田盛二は中山博道に弟子入りしている。この人の凄さは晩年になってもその力は衰えなかったということだ。こんな言葉を残している。私の剣道は五十を過ぎてから本当の修行に入った。六十歳になると足腰が弱くなる。この弱さを補うのは心である。心を働かして弱点を強くするように努めた。七十歳になると身体全体が弱くなる。こんどは心を動かさない修行をした。心が動かなくなれば、相手の心がこちらの鏡に映ってくる。八十歳になると心は動かなくなった。だが時々雑念が入る。心の中に雑念を入れないように修行している。80歳の時、現役の師範と対戦し、構えただけで圧倒してしまった。

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