錬心抄

2017/11/25
錬心抄 171号 2017.12月号
「文事あるものは必ず武備あり 武事あるものは必ず文備あり」

「ぶんじあるものはかならずぶびあり ぶじあるものはかならずぶんびあり」
中国の紀元前200年頃の戦国時代、魯の定公が和睦の申し入れのために斎の国に、護衛も付けずに行こうとした。それを孔子に忠告されたという故事から来ている。いわゆる「文武両道」である。この言葉は、もう、運動部に入って放課後はグランドを走り回って、家に帰ったらしっかり勉強するという、両立させる言葉として定着している。ところがこの武事と文備というのは、武術の修行の世界でとらえるとちょっと違う。身体を鍛えて、ただ勝負に強くなる、ということではない。武術を通して、心の修行も並行せよ、広く人間を磨け、というのだ。武術の世界で勝っても、それは狭い。身体を錬って、
心を錬って、人間として広く世間に認められてこそ、武事だという訳である。

2017/10/28
錬心抄 170号 2017.11月号
「梅は匂いよ 木立はいらぬ 人は心よ 姿はいらぬ」
軽い調子のテンポのいい言葉なのでちょっとメモしておいた。それがひょっこり出て来たのだ。武道修行、いや人間修行の要諦と言っていいだろう。「人は心だ、姿ではない」という結びを、前の「梅は匂いだ、木立ではない」という言葉が引き立てる。忘れていたんだが、なかなかいいではないか。誰がいつごろ作ったのか俄かに興味が出て来た。調べると、高三隆達という、安土桃山時代の日蓮宗の僧侶である。「たかさぶりゅうたつ」。当時、隆達小唄集というのが出ていて人気の小唄作家だったようだ。この隆達の作った歌に「君が代は 千代に八千代に さざれ石の 岩ほとなりて 苔のむすまで」というのがある。おや?これは?日本国歌はこの高三隆達という小唄の作詞家が作った、というところにたどり着いてしまった。

2017/9/23
錬心抄 169号 2017.10月号
「生まれては死ぬるなりけり おしなべて釈迦も達磨も 猫も杓子も」一休
        
これはあの一休禅師のことばで、人は誰でも生まれてきて死んでいくもので、どれだけ財を成したか、
権力を握ったか、そういうことはあまり意味がない、と言っているのだ。「門松は冥土の旅の一里塚、
目出度くもあり目出度くもなし」も一休さんだ。評判を聞いた殿様が一休さんをお城に呼んで、
「この屏風の虎、夜な夜な抜け出しているようじゃ、何とか退治してもらいたい」。
「いいでしょう。それでは縄を用意してください」。家来に用意させて見守っていると、
「準備が出来ました。さあ、虎を屏風から追い出してくれたらこの縄で縛り上げましょう」。
死ぬ間際に、言った言葉は、出来ればもう少し生きたい。御歳、88歳、当時としては大変な長寿である。

2017/8/26
錬心抄 168号  2017.9月号
「眼に見ゆるを見といい、心に見ゆるを観という」
        
「眼に見ゆるを見といい、心に見ゆるを観という」。だれの言葉かはわからない。荘子も「これを聴くに耳をもってすること無くして、これを聴くにこころをもってせよ」と同じことを言っている。
「無聴之以耳 而聴之以心」である。ところが荘子にはこの先があって「無聴之以心、而聴之以気」というのだ

。「これを聴くに心を以ってすること無くし、これを聴くに気を以ってせよ」と続く。
聴くというのは耳に止まってしまい、心もそこで止まってしまうが、気というのは広大、
虚となり、空っぽ。こだわりを持たないでそのままを見るということだ。
武術の稽古はその境地に達することなのだ。何も考えない、無心に取り組むこと、
これが武道の稽古の要諦である。

2017/7/23
錬心抄 167号 2017.8月号
「六十七十は はなたれこぞう おとこざかりは百から百から」

平櫛田中という彫刻家の白寿の色紙に「六十七十ははなたれこぞうおとこざかりは百から百から」
というのがある。百歳というとつい最近、日野原重明さんが106歳の天寿を全うしてなくなった。
この方の人生も波乱万丈。1970年のよど号ハイジャック事件に遭遇していた聖路加病院の医師。
百歳過ぎても患者を診ていた。平櫛田中も百歳過ぎても仕事場から離れない。亡くなる107歳まで現役だった。
私も七十四。まだはなたれこぞうだ。合気道という武道を始めて半世紀。
おとこざかりの白寿をめざしてやってみようと密かに決意。それには無理をしないこと。
合気道は年取って若い者と同じ稽古スタイルでは怪我をする。相撲の親方が現役の関取と稽古するようなもの。
彫刻の世界とは違うのだ。修行は心だ。心を錬る。
合気の術の鍛錬に、少しずつ、少しずつ、邁進して行き、自然のあるがまま。これが修行というものだ。
2017/6/24
錬心抄 166号 2017.7月号
「変動無常 因敵転化 変動常ならず 敵によりて 転化せよ」。唯心一刀流の伝書にある。この唯心一刀流というのはあまり知られていないが、古藤田唯心が創始した。相模の国の剣術家である。合わせて槍術も教える。師は伊藤一刀斎。この方は伊豆大島から戸板一枚に乗って海を渡り三島に着いた。直後、事件に巻き込まれ、賊を追った。隠れた瓶の中の賊を一刀の元に切り捨てた。刀は「瓶割刀」として三島神社の宝物として残る。その伊藤一刀斎が相模にやって来たのだ。チャンスとばかり、試合を申し出たが、ものの見事に敗れる。すぐに弟子入り。一刀流免許皆伝。一派をなした。敵の動きは同じではない。攻撃は次から次と繰り出され変化する。敵をよく見て、その動きに対応するのが極意であり。これは稽古修行によって自得するもの、よろしく修行せよ。それが「変動無常 因敵転化」である。
2017/05/26
錬心抄 165号  2017.6月号
「大巧若拙 たいこうはせつなるがごとし」老子

大巧は拙なるが若しというのは、真の名人は見かけの小細工などしないから、一見下手に見える。また、自分の芸を自慢することなどしないから、一見つたないように見えるということ。 同じような意味で、「大賢は愚なるが如し」というものもある。本当に賢い人は知恵や知識をひけらさないから一見したところ愚かな人に見える。武術もまさにこれで達人の風貌は決して強そうには見えない。立居振る舞いは自然。ただどこにも隙がない。武術の稽古の目的は、強いとか弱い、上手いとか下手ではない。特に合気道には派手さはない。地道にこつこつ続けていく過程で、身心が鍛えられて行くものだ。指導者の見本の技を見て、それを淡々と繰り返していくだけ。道場出入りの礼法。技をお互いに稽古しあったあとの、「ありがとうございました」の礼。さっと元の席にもどって、次の技の説明を見る。相手を選んで繰り返す。その拙い技の繰り返しが、大巧を生む。知らないうちに風格が生まれている。あせってはいけない。稽古は我慢、である。

2017/05/26
錬心抄 164号 2017.5月号
 「循環如無端」   孫子

孫子の兵法、というのがある。この「循環如無端」(循環端なしがごとし)はその中に出て来る。「凡そ戦なる者は、正を以って合い、奇を以って勝つ。奇正の相い生ずる循環の端無きが如し。敦れか態く之を極めんや」武術の身体の使い方にも持ってくることができる。動きは直線ではない。一定ではないということ。ものごとはぐるぐる廻ってる。いつまでも暗い夜ではない。必ず朝がやって来る。押したり、引いたり、動きには緩急あり、止まらない。合気道の技の奥にあるのが円、なのだ。投げたらそこで終わりではない。次の動きを想定して構える。合気道の稽古は一見やらせのように見えるが、そうではない。「取り」と「受け」を繰り返し、錬って行くのだ。勝負、はない。循環していく。端がない。稽古はこれでいい、ということはない。人間の生き方そのもので、「禍福は糾える縄のごとし」、「沈む瀬あれば、浮ぶ瀬あり」、「人間万事塞翁が馬」。合気道は人間学、人間道。「循環如無端」、である。

2017/05/26
錬心抄 163号 2017.4月号
「晴れてよし 曇ってもよし 不二の山 元の姿は 変わらざりけり」山岡鉄舟

山岡鉄舟。一刀正伝無刀流の開祖、幕末の剣術家。直新影流の勝海舟と槍術の高橋泥舟を加えて幕末の「三舟」という。江戸無血開城の勝海舟と西郷隆盛の会談を影でセットしたのが山岡鉄舟である。西郷隆盛の江戸城攻撃の目前、静岡の駿府城に駆け込んで、談判した。西郷隆盛もその迫力には、「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられないものなのだ
」といたく感銘している。駿府に向かう道中で富士山を見ていたのだろう。この歌、剣の奥義を悟った時、詠んだものだ。「晴れている時の富士山の姿は美しい。曇って山の姿が見えない事もあるが、それも時にはよい。富士という山の姿は、もともとの素晴らしさに変わらないのだから。立派なものは立派なのである。人に見えようが見えまいがそんな事に関係はない」。明治になると、明治天皇のお傍で仕えた。身長118センチ、体重105キロ、という大男である。

2017/05/26
錬心抄 162号  2017.3月号
「大人はついこの間まで子供であったったことを忘れている」シュバイツアー

シュバイツアーはドイツの人で、医者、哲学者。伝導師としてアフリカで医療活動に生涯を捧げた人だ。「原始林の聖者」と呼ばれた。1952年にはノーベル平和賞を受賞している。この「大人はついこの間まで子供だったことを忘れてる」という言葉には思わず立ち止まってしまった。大人は何かをやるとき、余計なことを考え過ぎるようだ。前後を考えず即行動の子どもたちの純粋さがない。結果を考えてしまう。行動を始めたら突き進まなければならないのだが、失敗したら恥ずかしいと周りを見てしまう。今、なのに、先が目に入って来るのだ。シュバイツアーは生涯少年の心を持ち続け、伝導師としてアフリカの人々のために尽くした。「成功は幸せの鍵ではありません。幸せが成功の鍵です。もし自分のしていることが大好きなら、あなたは成功しているのです」。これもシュバイツアーの言葉だ。武術を志しているものには金言となるはずだ。

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