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平成13年2月16日(142号)

 昔、中国の杞の国に、毎日毎日、天が壊れて落っこちてきたらどうしよう、とびくびくしている男がいた。それが昂じて寝れない日が続き、飯も喉に通らない。心配してその男のところにいって説くものがいた。「天は空気が積もっただけで、空気のないところはない。その中にいて飛んだり跳ねたりしているんだ。心配いらないよ」。「月や星は落ちないのか」。「月や星も空気中で輝いているだけで、落ちてきても当たって怪我をすることはない」。こんな問答を続けて、その男はやっと納得、気もはればれとなった、というのが「杞憂」の語源といわれている。杞という国は、中国・周の時代に河南省にあった。紀元前一一〇〇年頃、今から三〇〇〇年前のことである。この故事から「かれこれといらぬ取越し苦労をする」「いわれのない心配をすること」のたとえとして、「杞憂」という言葉は使われている。ところが、どうも、最近、そうは行かなくなってきた。空から何か落ちてくることを、心配しなければならない時代なのだ。いや、空からばかりでなく、海底からも、突然、物が浮上して航行中の海上の船を沈没させるということも、あり得ることとして、心の準備をしなければならないのだ。ジャンボ機どうしのニアミス事件。回避した瞬間、機長は「助かった!」、絞るような声で叫んだ。着陸後、コックピット内に入った警察官は、顔面蒼白、ガクガクと震え、立ち上がれない機長と操縦士を見て、その壮絶な677人の命を回避した極度の緊張と精神的な圧迫がどんなものだったか、言葉もなかった、という。管制官の人為的ミスが原因。衝突していたらと思うとぞっとする。つづいて、最近(2月 日)ハワイ・オアフ島沖で、宇和島水産高校の実習生の乗る練習船「えひめ丸」が、突然浮上してきたアメリカの原子力潜水艦「グリーンビル」と衝突し、9人がいまだに行方不明という事件が勃発した。ジャンボ機の急降下事件は、技術の高度化のなかで起きた、人間の過信と油断によるもの。管制官が指示すべき機体のナンバーを間違えた。アメリカ海軍の原子力潜水艦の中は、冷戦終結のあと、まるで緊張感はなくなっている。海底にいた潜水艦が海上に何も心を置かず、無防備に、浮上する。今のアメリカ軍の内部の規律がどうなのかよくわかる事件である。列子という人は、天が落ちてこないか、と憂えた杞の国の人はそれだけ自然現象の観測に「真剣さ」があったと解釈すべき、と説く。「杞憂」というのは取越し苦労でなく、自然への畏敬、人間の謙虚さから来ているものなのだ。杞の国の人は、臆病だったんではない、すべてのことに、細心であったというのが、「杞憂」の本当の意味、なのだ。「杞の国は無事なれや、天の傾くを憂うなり」、李白の詩である。米海軍にこの詩、教えてやりたい

平成13年2月2日(141号)

  新宿の新大久保駅で起きた三人の人身事故が、思わぬ波紋を投げかけている。最初は、ホームから落ちた酔っぱらった男性を、その仲間二人が助けようとして、入ってきた電車にはねられた、と報じられた。新宿の飲み屋で一杯ひっかけて、帰宅の途につき、駅に行った。そのうちの一人が、よろよろとホームから落ちてしまったので、それに巻き込まれて仲間も線路に飛び下りてしまった。そんな現場だったんだろうと想像していた。しょうがない酔っぱらいの仕業のようだ、新大久保駅を利用している身内のいる人は、きっと心配してるだろうな、迷惑な人達だ。全容が明らかになるまで、まあ、そんなことを想像していた人が多かった、と思う。ところが、だんだん、三人の身元がはっきりしてくると、落ちた人と、助けようと線路に飛び込んだ人は、まったくの他人だということがわかった。たまたまそのホームにいて、目の前にいた人が線路に落ちてしまったので、二人はすばやく飛び降りて、助けようとしたという。そこに電車がやってきて、三人を轢いてしまった。それは、物凄く勇気のいる行動なので、驚きと賞賛の声があがっているのだ。ましてや、まったく見ず知らずの他人どうしなのだから、なおさらである。お二人の葬儀には、あちこちから、感動した面識のない一般の人達が、数多く参列したという。この方たちは、李秀賢さん(26 )という韓国の留学生の人と、横浜の緑区に住む、カメラマンの関根史郎さん(47 )である。お二人とも判を押したように、まわりの評判がいいのだ。その「二人の勇気ある死」を悼んで、じわじわと称賛の声があがりだした。「今、日本のモラルは崩壊している。そういう風潮のなかで命がけで人を助けようとした二人はすばらしい」、「涙がとまらない」「お見舞金を」・・・。関根さんは、リウマチで足の不自由なお母さん千鶴子さん(78 )と二人暮らしで、動物の写真を撮りつづけていた、心優しい、プロカメラマンだった。李秀賢さんは、将来、韓国の大統領になることを夢見て、日本に日本語の勉強に来ていた、高麗大学卒業の優秀な若者だった。この人のハングル語で書かれたホームペイジは、この事件のあと7万件以上のアクセスがあり、書き込みできる掲示板には、追悼メッセージが寄せられている、という。「勇気と希望をくれてありがとう。あなに会えなかったことがとても残念です」、「素晴らしい青年を失いましたが、あなたの行動で、世知辛い世の中が少しでもよくなればと思います」。(産経新聞1・ 日付)こんな時代に、まだこんなに魂の美しい人がいたんだ、人間、そんなに捨てたものではないな。広がる波紋は大きい。人と人との心がなかなかつながりにくくなった時代、この「勇気と希望」を与えてくれた二人の命をかけた行為には、心底から、お礼をいわなければならない。

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