平成13年3月16日(144号)
最近、テレビで面白いのは、NHKの「プロジェクトX」という番組である。時間帯が、火曜日の夜9時15
分なのでその日はなるべく早く帰って見るようにしている。見過ごすと、インターネットでNHKのホームペイジを覗く。第1回目から放映されたバックナンバーが揃っていて、本も出版され、ビデオも発売されている。前回(3月6日)で、43
回目だった。「えりも岬に春を呼べ」―砂漠を森に、北の家族の半世紀―、は壮烈な自然との戦いで、人間が自然との共生をとりもどす、一つの家族の物語だった。◆第1回目を見たのは、まったく、偶然だった。平成12
年3月28 日に放映されたと記録されている。ちょうど1年前である。富士山山頂に、気象レーダーを取り付ける、技術者たちの苦闘の物語である。3776mの日本で一番高いところに、650sのレーダーを取り付けて、台風の進路をとらえよう、というプロジェクトに挑戦する人間たちを描いている。クライマックスはヘリコプターに吊るされたレーダーを山頂で待ち構えるている土台に、セットする場面。ヘリの操縦士に選ばれたのは、元特攻隊員。この人の操縦は神業といわれた。富士山山頂付近の気象条件が最も安定している日。それは、昭和39
年8月15日と決定。奇しくも終戦記念日である。待ち構える山頂に、レーダーを吊るしたヘリコプターがやってくる。なかなかうまく決まらない。何度も挑戦しやっと成功。ヘリは麓の基地にもどる。降りてきた元特攻隊員の操縦士は、そのままプレハブの建物に消える。まわりは誰も無言。ひとときして出てくると、大空に消えていった仲間たちが守ってくれた、とひとこと。その日から、台風銀座の日本の上空は、このレーダーによって、進路を予測することが出来るようになった。その山頂のレーダーも去年役割を終えた。◆41
回目(2月 日放映)の「酷寒 南極越冬隊の奇跡」も、日本男児の「男の意地」から生まれた記録だった。世界で南極観測の気運がたかまり、各国一斉に参加を決めたが、「日本はまだできないだろう」と、誘いもかからない。昭和
年頃である。その会議に出席していた永田武は、「日本もやります」と宣言して帰国。なんのあてもなかった。そこに副隊長にと名乗り出たのが、京都大学の西堀栄三郎、
歳。著名な登山家だが永田は知らない。そしてこの男が、観測を終えて帰国する直前、「1年間、越冬させてくれませんか」、と名乗り出た。ただ頑健であるだけの
人が選ばれ、1年間越冬する。それが世界でも貴重な研究記録を数々発表し、世界を驚かす。この人の有名な言葉は、「石橋はたたいていては渡れない」、「やってみなはれ」。「雪山讃歌」の作詞者でもある。「プロジェクトX」は、かつて日本人にはこんなに気骨があったのだ、と証明してくれるドキュメンタリードラマである。 |
平成13年3月2日(143号)
今、なんたって一番日本人が関心をもってみているのは、突如海底から浮上して来て、水産高校の実習船「えひめ丸」を沈没させた米海軍原子力潜水艦「グリーン・ビル」の艦長の証言だろう。どうも、前艦長、となって報道され、こういった事件に辣腕をふるった弁護士をつけたらしい、と聞くと、今後の動向を見過ごすわけにはいかないのだ。やっぱり、何か後ろめたさがあるからに違いない。徹底的に真相を解明して欲しい。それにしても、世界最強の米海軍・原子力潜水艦に、観光客が乗船していた事実があかされたのには唖然となった。原子力潜水艦内には、栄光の米海軍の厳しい規律は消えうせ、観光船になりさがっていると知って、正直、衝撃を受けた。◆今のところ、衝突の原因が三つあげられている。一つは、ソナーマン(水中音波探知機を操作する人)二人のうち一人は、実習生だったこと。二つ目は、モニターが故障していたため、海の上を監視する機能が働いていなかったこと。三つ目は、航跡図が作成されず、どこを走っているか、手探り状態だったこと。担当官は、飛行機でいう狭いコックピットのようなもののなかに、観光客
人が入り込んできて、書けなかったと証言している。急浮上する操舵管は、観光客の一人が握っていたとも。もうこれは、森さんいうところの「単なる事故でしょう」ではすまされなくなった。◆原子力潜水艦の衝突事件の一報が届いたとき、水産高校生の実習船だし、泳ぎ達者な若者たちはまもなく助かるだろう、それにしても、この時期、森さんにはチャンスだな、と正直、そう思った。日航機ニアミス事件もおきている。それに、潜水艦衝突事故だ、人命には問題ない(みなさん、岸に泳ぎ着くだろうから)。これを上手に演出し、森さんは、その間、がんがん、アメリカに抗議を続ける。マスコミの矛先をそちらにむけてしまい、KSD疑惑、外務省機密費問題、株下落などで、支持率低下の総理の立場、一気に盛り返す。森さん、好機到来だ。このへんのこういった予想は、森さんに対しては、まったく当たらなかった。その時、ゴルフをなさっていて、一報を聞いても、2時間も、おつづけになった、という。森さんは、ゴルフスタイルででも首相官邸に駆けつけるべきだった、という人と、いや阪神淡路大地震の時、ときの総理・村山さんは、べったりと官邸にいたが、無能で何も指示できなかった、だから、森さんもあれでよかった、という人がいる。森さんは、そこのゴルフ場の会員権を友人から譲ってもらっていた、という疑惑が発覚し、賭けゴルフをしていたんではというチョコレート論争まで巻き起こした。与党の間では、予想通り、急速に、「森おろし」が始まった。これは、森さんの総理としての資質を問うて、ではない。夏の参議院選挙は、このままでは戦えないから、という永田町の不思議な論理からである。 |